おんじゅく

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歴史・文化

歴史民俗資料館(紙本著色大多喜藩陣列之図(県指定)、貝海女具一式)

歴史民俗資料館

縄文時代の土器をはじめ、地曳網ようぐなどの漁具、むしろ織り機などの農具、その他、御宿の暮らしぶりを知ることができる資料や文献が展示されています。
また、館内の「五倫文庫」には、江戸時代から昭和にわたる国内外の貴重な教科書が収蔵されています。


開館時間:午前9時~午後5時
休館日:毎週月曜日(祝日のときは翌日)・年末年始
入館料:無料
住所:千葉県夷隅郡御宿町久保2200
電話:0470-68-4311


歴史民俗資料館

紙本著色大多喜藩陣列之図(県指定)


嘉永年間(1848~1853)ころ大田喜藩による海岸防備のようすが描かれたものと考えられており、当時の御宿町に関連を持つ資料として、また幕末の藩の軍備を知る資料としても貴重なものです。


歴史民俗資料館

貝海女具一式


御宿の海女の潜水服は独特で、半トウロクとパンツです。白浜・志摩・舳倉の海女とは異なります。


五倫文庫

五倫文庫

五倫文庫とは 日本に学制がしかれて以来(明治5年.1872年)初等教育-小学校、戦後は中学校を含む-で使われた教科書を収めた文庫です。
あなたが習ったなつかしい教科書を見つけることが、きっとできるでしょう。
五倫文庫は更にさかのぼって、寺子屋で使われた徳川時代の本や、世界各国の各年代にわたる初等教育の図書も、ひろくあつめています。
文庫は、明治25年(1892年)、当時御宿小学校の校長をしておられた伊藤鬼一郎先生が、毎年使用される教科書を保存し比較研究されようとしたのがその始まりです。
先生は初等教育が次の時代を背負ってゆく少年少女に如何に重要であるかを早くから認識されていました。
特に世界が平和の中に共存してゆくには、未だ天使のような清い心の幼い時に正しい教育をすることが不可欠なのだということを第一次世界大戦(1914年~1918年)の後に痛感され、その為には、単に日本だけでなく世界の初等教育を集めて比較研究し、このことを広く世界に呼びかけてゆこうと考えられたのでした。
第二次世界大戦(1939年~1945年)がその後勃発し、太平洋戦争で日本が悲惨な体験をしたことを思い起こすと、先生の考えは極めて先見性に富んだものであったということがおわかりになることでしょう。


五倫文庫名称の由来

明治35年(1902年)9月房総を直撃した大台風で、御宿小学校は倉庫1棟を残し全校舎倒壊の悲運にあいました。 日露戦争の最中で国の援助に期待すべくもなく、また当時わずか850戸の寒村だった御宿村は、村の財政では到底校舎を再建することができませんでした。 教室がなくなった村の子供たちは、お寺に分散してとりあえず授業を始めましたが、校舎再建の見通しはとてもたつどころではありませんでした。
時の小学校長伊藤鬼一郎先生は、村長式田啓次郎氏と共に、毎戸毎日五厘(一銭の半分)の日掛貯金を自分達の子供の為にしてゆこうと説いて廻り、明治41年(1908年)5月から全村民賛成のもとに実行されました。
そして明治45年(1912年)5月から大正3年(1914年)7月迄は毎戸2倍の一銭とし実に9年間に亘り一戸の脱落者もなく成し遂げたのでございます。
そして村民の努力の結晶である3万円余(現在の価値で約1億8千万円)を以って独力で737坪の立派な新校舎を建てたのです。 たまたま御宿町を訪問された佐倉連隊区司令官黒田善治少将はこの話を聞かれ感服し、「五厘」は「五倫五常の五倫」に通ずるとして「五倫黌」と名付け、扁額を贈られたのです。
以来、御宿小学校は五倫黌御宿小学校と呼ばれるようになりました。当文庫もこれにちなんで名付けられたわけです。
御宿町が文教の街として、その名を千葉県のみならず全国的に知られているのも、私達祖先の貴い汗の賜があったからです。


最明寺「御宿(おんじゅく)の地名の由来」

地名の由来

御宿という名の由来は、御宿町須賀盛松に所在する最明寺に北条時頼公が宿泊しそれにまつわる歌「御宿せしそのときよりと人とはゞ網代の海に 夕影の松」が伝えられています。


■所在地:最明寺(須賀)
■TEL.0470-68-2881


最明寺「波の伊八 最明寺向拝の獅子頭・象鼻の彫刻」

波の伊八の彫刻

最明寺の新築工事に際し、旧寺院の解体に伴い向拝の柱に嵌め込んであった獅子頭・象鼻の彫刻を外したところ、束の部分に、武志伊八郎信由と墨書されてあったことから、この彫刻が武志伊八郎信由の制作によるものであることが、判明したものである。


■所在地:最明寺(須賀)
■TEL.0470-68-2881


春日神社「高山田神楽囃子(町指定)」

神楽囃子

寛永年間に、春日神社の遷宮があり、その記念に祭り囃子と神楽が奉納されたことに始まるといわれ、以来およそ350年にわたって受け継がれてきた神楽。笛、太鼓、摺鐘などの楽器が使われ、春日神社例祭日に、神輿の渡御に先立ち奉納されます。


■所在地:春日神社(高山田)
■TEL.0470-68-2514(教育委員会)


真常寺「虫封じ参り 虚空蔵菩薩」

虫封じ参り

関東三大虚空蔵菩薩の一つ。毎年3月13日に虚空蔵様へ7歳位までの子供が母親に連れられてカンの虫封じのお参りに訪れます。
虚空蔵菩薩は、丑寅の守り本尊で知恵と恵みを与え、疫病、稲の虫予防にご利益があるといわれていることから、“虫封じ”もここからきたと伝えられています。


■所在地:真常寺(上布施)
■TEL.0470-68-2910


妙音寺「木造阿弥陀如来坐像」

木造阿弥陀如来坐像

寄木造りで、漆箔、像高53センチ、膝張り47センチの堂々とした座像であるが、玉眼で胸の厚さがいささか薄く製作年代が下ることを思わせる。室町末期であろうか、蓮台は高さ22センチ仏体と同時の作である。いずれも地方仏師の作とは思えず形がよく整っている。


■所在地:妙音寺(浜)
■TEL.0470-68-2807


大宮神社

大宮神社

サンフランシスコ号は嵐に遭い、岩和田・田尻海岸で座礁してしまいました。 村人たちは総出で救助にあたり、乗組員373人のうち317人を助け出しました。 岩和田村の人が乗組員に炊き出しをしたり、冷えた体に暖をとらせ、負傷者の救助など至れり尽せりの救助活動が行われました。


■所在地:大宮神社(岩和田)


浅間様

浅間様

御宿中学校の裏山(浅間山)高さ40m位の砂質と腐植土のまんじゅう形の低山(袴山)の勝地に鎮座する。 醍醐天皇、延喜2年(902)五月、藤原清宗、これを勧請し男躰山(男山)とすると縁起されている(古老の口碑相伝、別当職旧記)。 祭礼日は富士浅間に準じ、6月末日と7日1日に(現在は6月29日・30日)行われ、昔は祭礼には特に地頭代官の参詣があり、番所を設け警護するなどすこぶる盛儀を極め、おまいりの人々は近在4、5里の所から群集し、たいへんな賑わいぶりであった。 大正2年6月15日、外房線が御宿駅を通るようになると、浅間神社例祭には、駅からお宮まで人で埋めつくされたといわれている。 社殿まで小高い砂山(袴山)を登っていく途中に松尾芭蕉の句碑があり、富士浅間講のたくさんの碑がある。 男躰山の県道を隔てた反対側に女躰山があり、祭神を磐長姫命(いわながひめのみこと)とし、男躰山と同日に祭典が行なわれ、むかしは女人参詣のお宮とされていた。


■所在地:浅間神社(新町)


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